01 12月 ギヨーム・ジョヴァネッティ&チャーラ・ゼンジルジ Guillaume Giovanetti & Çagla Zencirci
チャーラ・ゼンジルジは1976年生まれ、ギヨーム・ジョヴァネッティは1978年生まれ。パリ、イスタンブールとラホールを拠点として、2人はアジア、ヨーロッパ、中東で短編映画やドキュメンタリー映画を数多く制作しています。中でも『Ata』と『Six』は多くの国際映画祭で受賞しています。2012年には『Noor』を制作し、第65回カンヌ国際映画祭ACID部門(フランス独立映画配給協会主催)で初上映されたあと、ニューヨーク、ボゴタ、ミシサガなどで上映され、数々の賞を受賞しました。
この作品はフランスでは2014年4月に劇場公開されました。
ギヨーム・ジョヴァネッティとチャーラ・ゼンジルジは2010年7月から10月にかけてレジデントとしてヴィラ九条山に滞在。そのプロジェクトは、2年前に吉野眞弘と撮った短編映画を発展させるものでした。2人はこのノンプロ俳優が備えたカリスマ性に魅了されていました。また、2人は京都近郊にある精神科クリニックにも足繁く通い、そこで3人の患者と出会ったことがシナリオに決定的な影響を与えました。即興、ロケハンとキャスティングの仕事を続けることで、2人はレジデンス期間中に映画『人間』の脚本を執筆。この映画はヴィラ九条山でのレジデンス後に日本で撮影されました。
『人間』は2013年のトロント国際映画祭 でプレミアム上映され、ダブリン、ザダルでいくつかの賞に輝いたほか、フランスのトゥール・アジア映画祭では特別表彰を受けました。そして、フランスでは2015年4月に劇場公開されました。
あらすじ
失われた恋を探し求める老年の会社社長・吉野は、自分の会社を倒産から救わなくてはなりません。現代のサムライである彼は、自分の限界を乗り越えようとして心のバランスを崩してしまいます。吉野の飽くなき探求は日本の2つの伝説物語、つまり狐と狸の化かし合いと2柱の神による国産み神話にそっくりなも様相を見せることになります。
インタビュー
共同監督作品『人間』は2015年春にまずフランスで、それに続いて日本で劇場公開されることになっています。ヴィラ九条山でのレジデンス中に、既にいくつかの映像が用意されていました。このプロジェクトの誕生について語ってもらえますか。この物語はどのようにして生まれ、2010年の京都でのレジデンス中にはどのように仕事を進めたのですか。
レジデンスを始める前に、私たちが望んでいたのは、日本における精神医学とスピリチュアリティに関連した要素を備えたラブ・ストーリーを撮影することでした。私たちの仕事では、プロではない俳優たちと一緒に仕事をし、彼らの実生活に基づいて、彼らのために書いたストーリーを演じてもらうことが気に入っています。仕事をするために九条山に来る前に、2つの決定的な出会いがありました。
まず、『人間』で会社社長を演じた吉野眞弘との出会いがあり、2008年に初めて東京に滞在した時、短編映画『Six』で彼を撮りました。それは、彼の知性とカリスマ性に即座に惹きつけられたからです。分かっていたのは、脚本は彼の人柄と当時の生活状態に基づいたものになることでした。彼の会社は苦しい時期を迎えており、そのため彼は不安定な状態に陥っていました。この点を踏まえて、映画の登場人物を作ろうとしたのです。
2番目の大きな出会いは、2009年にフランスの映画祭で『Six』が上映された時のことです。そこで出会った日本の監督は、その映画の中で京都の精神科クリニックの患者に演技をさせていました。実は、その病院の院長でもあったのです。この場所が京都であったことは、そこで6ヶ月を過ごそうとしていた私たちにとっては幸運でした。
したがって、2010年7月にレジデンスを開始することになった時、既に主な材料は揃っていました。脚本執筆においては、私たちはノンプロの俳優たちが提供してくれるものから多くを吸収しています。そこで、フィールドリサーチが何より大切でした。すぐにも、私たちは吉野と一緒に時間を過ごすようになり、彼が『人間』の主人公になることは分かっていたので、彼のことを良く知ろうとしました。東京では、彼の会社に行ったり、家族との生活や余暇の合間に彼を追いかけました。これは次に撮影用セットで彼に演技をつけるためにも、執筆プロセスに参加してもらうためにも重要でした。
こうした意味で、吉野はとても模範的でした。と言うのも、映画の吉野役に力を入れてくれただけでなく、妻である和島や中国人の友人で、東京の風俗街に店を持つ李といった登場人物を紹介してくれたからです。何度かの東京滞在中に、私たちは定期的に彼らと一緒に時間を過ごし、映画における彼らの役作りを行いました。
これと並行して、京都では、南の方の宇治にある精神科クリニックを舞台に選びました。頻繁に病院に通う必要があり、数ヶ月間、週に1、2度の割合で出かけ、クリニックの患者や職員との関係を理解することを努めました。このクリニックは患者に対する人間味ある治療でかなり独特の場所でした。クリニックに通うほどに、私たちは少し家族の一員のようになりました。私たちの訪問につれて、鮎川やユキエ・ヒロミ姉妹の役柄が必要不可欠なものとなってきました。鮎川は『古事記』(神道の教えに基づく日本の創世記)の神々の神話的なラブ・ストーリーを提供してくれ、これはオルフェとユリディスの物語の驚くべき比較項として欠かせないものとなりました。ユキエ・ヒロミ姉妹は狐と狸に関する伝説の新しい物語を書いていて、映画の導きの糸を与えてくれました。 毎週、彼女たちは書き上げたばかりの新しい筋書きを読んでくれ、私たちは登場人物たちが映画の中でどのような動きを見せることができるかを一緒に発見するのを大いに楽しみました。
吉野とクリニックという2つの手懸りが最重要でしたが、私たちは他の登場人物を見つけるために常に素人キャスティングの状態にあり、また、登場人物の動きにふさわしい場所を探すため、常にロケハンを行っていました。私たちは必要としていたものを、友達の友達の伝手をたどるか、偶然によって見つけました。これは私たちにとってごく自然な仕事のやり方でしたが、谷元プロデューサーとこれを実践しているうちに、「ご縁」と言う日本の概念を当てはめることにしました。つまり、「偶然の出会い」とでも訳せるものです。例えば、映画に出てくるサンバの女性ダンサーは吉野の会社の社員で、会社の廊下で知り合った人たちです。ストリッパーは李の親しい友人で、彼と一緒に過ごしたある長い夜に紹介されました。年老いたイタコは吉野さんの推薦によるもので、彼は亡くなった父親の霊を呼び寄せるためにイタコに会いに行ったことがあり、映画に出演してもらうことを強く願っていました。わな猟の猟師は谷元プロデューサーがちょっとした偶然から出会った人物で、谷元は彼に会うため、京都の北の森の中にある猟師小屋に行くことにこだわりました。そして、京都の西の平野地区にある神社の祭りの後で、私たちは能舞台の上で地獄の番人役を演じた女形に会いに行きました。舞台での演技に魅了されたからです。
フィールドリサーチの時も、映画に出てくるいくつかの場所に入り込みました。吉野の会社、李のレストラン、和島と吉野の家が、東京で私たちが多くの時間を費やした場所です。映画に出てくる夜の場所はすべて李の紹介によるものです。ストリップクラブ、カラオケのほか、映画の最後の方に出てくる裏社会の奇妙な場所である新宿の有名ホストクラブ「愛」や、最終的には映画に取り入れられなかったバーなどです。 また、京都では、私たちはちょっとした偶然から、レジデンスのかなり最後の方に、伏見稲荷神社を日暮れ時に初めて訪れ、この場所のきわめてスピリチュアルな側面に強い印象を受けました。そこで、私たちはいつも日没の頃に神社に何度も通い、撮影中もこの瞬間をフィルムに収めました。そして、この神秘的な場所に加えて、当然ながら私たちはヴィラ九条山の周りの森、大文字山方面、北の鞍馬方面や西の亀岡市方面でも多くの時間を費やしました。亀岡は、2010年9月のある日、レジデント仲間たちと一緒に散策しました。ついでに言い添えておけば、他のレジデントたちと築くことのできた関係は素晴らしいものでした。私たちとは違う分野のアーティストたちと継続的に付き合えたのは初めてのことで、彼らの仕事が私たちの仕事と響きあい、私たちの仕事に意外な展開を与えてくれること気づけたのは心地よい驚きでした。
先ほど詳しく話した登場人物やロケ地を拾い出す作業は、ヴィラの6号室という隠れ家での執筆活動と交互に行われ、この部屋では私たちは選び出した現実を、企画書、シノプシス、台本やメモ書きを作成することで、昇華させました。レジデンスを終えて、パリに戻らなければならなくなった時、できるだけ早く日本に戻ってきて、ヴィラでの6ヶ月の間に書き終えた映画『人間』を撮影するために、資金を見つけなければなりませんでした。