関西地方にフランスの文化会館を設立するという考えは1926年に生まれました。この年、ポール・クローデルは駐日フランス大使としての任期最後の年を迎えていました。クローデルは当時の大阪商工会議所会頭・稲畑勝太郎を中心に親仏家の日本人グループを集めることに成功し、これら日本人が日仏学館の建設に必要な資金を集めることになりました。この計画は、日本の真っただ中において、その伝統文化の宝庫をフランスの芸術テーマに結びつけるというポール・クローデルの考えに基づくものでした。日本人によって建設されたこの新しい学館は財団法人日仏文化協会の監督下に置かれ、その運営にはフランス政府が当たることになりました。
関西日仏学館の落成式は1927年11月5日に、今ではヴィラ九条山が建つ場所において挙行されました。1936年には、学館は当時発展途上にあった京都大学の近くに移転されました。そして、50年近くに渡って東山の建物は放置されたままとなりました。
1986年のこと、フランス外務省は学館跡地におけるプロジェクトの推進を決定しました。外務省が提案したのは、京都という芸術と歴史の町の性格を踏まえ、ローマのヴィラ・メディチに倣って、アーティストや研究者のレジデンス受入れ施設を建設することでした。
このようにして、財団法人日仏文化協会は、1986年11月11日に、ポール・クローデルの当初の発案に基づき、稲畑勝太郎の孫息子の資金提供を得て、「日仏交流・創作会館」を建設することを決めました。この会館が現在のヴィラ九条山となり、1992年11月5日にその落成式が執り行われました。